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変わり行くヤンゴン(改訂版) 2005/11/9


変わり行くヤンゴン 2005年11月

☆このエッセーは1年以上前に1度書いたものだが、東京の「ミンガラ通信』という読み物に、原稿を書いてほしいとメールが来たので、このエッセーに手を加えて送ったのだ。なかなか良くなったので、改訂版として新しくここにも掲載します。


ヤンゴンに住みだして7年半。明らかに変わった頃柄も沢山あります。久しぶりにヤンゴンに来た人は、高いビルが多くなったねと言います。多いといってもまだ両手両足の指まで使わなくて足りそうです。 しかし、これから高層高級アパートメントのプロジェクトが目白押しですから、後3年もしたら本当に景観が変わってしまうでしょうね。

私がヤンゴンに来たばかりの頃(1998年3月)は、まず国際電話をかけるのが大変だった。私は暫くホテル生活をしてたので知らなかったが、民間のアパートに住んでる人は、国際電話は、前日からの予約制、それも電話局から今かけて下さいという電話が来るのを待たなければいけなかったそうだ。

 UFL(ヤンゴン外国語大学)の同級生だった日本人学生は、韓国人の恋人に毎日電話してたので、ついには電話局の人と仲良くなって、***使って国際電話に即繋いでもらっていたそうだ。1週間に1度電話局の人が、ニコニコしながら***受け取りに来てたとか。(因みに***はミャンマー語でモンボウおやつ代と言います)次の年に、その彼が3人でシェアーしていた広いアパートに、私も一橋大学の院生とシェアーして2年間住むことになった。その頃から国際電話が自由にいつでもかけられるようになった。

  メールはそれに遅れること半年、イーグル社のメールを使い始めた。実を言うとお恥ずかしい話その時まで、日本でメールなる物を見たこともした事もなかった。そのイーグル社も契約して僅か1ヶ月で、トレーダーホテルで華々しく1周年のパーティがあった直ぐ後に潰されてしまって、また長らくメールのない生活に戻ってしまった。

2002年の4月に、バガンネットという会社が出来て、メールもインターネットも出きるようになり、そして料金は変わらずに、2003年の暮れからメールアドレスがあればインターネットも使えるサービスが始まり、通信に関してはすばらしい進歩をとげています。

また2、3年前から目に付くようになったのは、携帯電話の普及です。UFLでも、自分で車を運転して大学に通っている女学生の方もいます。そんな方は決まって, 長い髪の毛をかきあげながら携帯電話でお話されてる光景も、よく見かけましたね。

ミャンマー1美人のお嬢様が多い大学がUFLなんです。それは大学が全面的に開校になりましたが、ヤンゴン大学は分割されて、ダゴン大学とタンリンキャンパスに分かれて、これがどちらもヤンゴンの市内から遠い。往復に3時間くらい掛かり 、家に戻ったら疲れて予習復習も出来ないと聞きます。それで、誰しも娘にそんな苦労をかけたくないと想うのが親心でしょう。 さまざまなコネを使って入学してきた選り抜きのお嬢様が集まる事になったのが、バハンという高級住宅地にあるわが母校UFL(ヤンゴン外国語大学)なのです。

道路工事中です

女性のファッションとしてはストレートパーマが女優さんやモデル、ミャンマー風に発音するとモデゲ(Model Girl)からの影響でしょうか?やたら目に付くようになりました。大学生等は、男性もロンジーをはかない人も増えてきています。これは非常に残念な事ですが、まぁ時代の流れでしょうか。

したがって、頬にタナカを塗っている女性もヤンゴンでは少数派になって来ているようです。しかし、外では外国製の化粧品塗っている女性も、外出先から戻ると水浴びて、家の中ではタナカ を塗る人も居るようです。シャンバックも使う人が激減しています。

また7年間の間に不可解な事も沢山あった。まだ上記のアパートに住んでいた頃なので、5年位前です。50ksや20ks等コイン硬貨が出回りました。しかし、何個か見たことがあるものの、あの硬貨は今何処に行ってしまったのでしょうか?またどうして使いもしないコインを造幣したのか?またまたこれも謎ですね。幻の硬貨としてマニアが溜め込んでいるのでしょうか?

 これは、2002年の6月くらいです。市内のアパートの窓やベランダに小さな国旗を掲揚するのが突然義務付けられたようで、何処のアパートのベランダからも赤い国旗の波がゆれていた。これも1ヶ月後には、今度は国旗を降ろさないと罰金という話しになって、あっという間に消えてしまった。 この時期染物屋の店先には、小さな国旗の注文で大賑わいで。結局染物屋だけが儲けて、この「赤い国旗の波事件」は終わりになったようだ。まさに朝令暮改、ヤンゴンっ子も、大抵の事には驚かない。

外国に働きに出る者に、200ドルの税金を課したり、これも3週間位で取り下げられたし、電気を節約しましょうと2002年10月頃とても厳しく、レストランのイルミレーション等も撤去するように指導されたが、今はイルミネーション使っていても何も言われません。よく分らない国です。

相変わらず、多くの人はまだロンジーを愛用していますが、減ってきているのも事実です。日本で着物が全く廃れたように、ロンジーが見れなくなった時、その時にもう昔のよさが何も残っていないミャンマーにならないことを祈るばかりのこの頃です。

(思い出すままに、11月4日 2005年 )
by 木村 健一

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