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ミャンマー的、男と女の物語1 2005/6/4


 うちのスタッフの結婚模様を「ある若い夫婦の物語」と言うタイトルで3組紹介した。最後のレストランのマネージャー、タンリントンの結婚式から1年半がたち、すでに2組には子供もできている。しかし、実はその後にもスタッフの結婚は続き、2週間前の日曜日に6組目の結婚があった。今までの中で、一番どう言ったらいいか、問題の多い結婚だと感じた。彼らが借りた家(家と呼ぶにはあまりに粗末な、日本だと物置よりひどい)が招待状にある場所だった。式の2日前にいきなり会計のJが結婚すると聞かされて、とりあえず彼の給与の8か月分くらいに当たるお祝いをあげた。しかし、双方の両親も来ていない。レストランのすぐ近所に住む常連さん、この方は実は日本に住んだことがあり日本語がかなりできる、こちらのお宅の親戚の娘さんでそこに住んでいた女性が花嫁。ところが、このおじさんにあたる人も、「そんな話聞いてない。親に申し訳ない」と怒って来ていない。花嫁は職なし、花婿の給与は家賃と電気代水代支払ったらいくらも残らない。2名が食っていく最低限度の金額しかない。また、この家があるタケダ地区、ヤンゴンにスラムという名称を付けることができる地区があるとすればここだろう。どぶにはゴミがあふれ、雨季には道さえ見えなくなるだろう。家々の庭先もゴミであふれている。掃除をしようとする人とていないのか?不衛生極まりない。しかし、そんなところでも子供たちは元気に道端で遊んでいる。しかし、よく見ると9歳から14歳くらいの子供がやっている遊びが、10ks札をピラミッド状に折ったものを並べて、ビー球で倒す賭けゲームである。

 暗澹たる気分で帰ってくると、その日の夜11時半超えていたか、里子の兄(年は10歳離れている)のドライバーが、涙を浮かべて真っ青な顔をして話しかけてきた。普段は絶対に泣くような奴じゃない。彼は理由はよく分からないがしばしば外泊する。レストランを2軒やっているのでそこに泊まったと言われれば、納得できるが実際は何処に泊まっているか分からない。それでそんなだらしない生活は認められないし、寝泊りするところは1箇所に決めて、それができないのであれば仕事は辞めてもらうと宣告していたので、最近は夜遊びが少しやんでいた。しかし、その日は少し様子が違う。泣きながら言うには、彼の恋人が突然死んだとか、日本で言う脳卒中だろうか?恋人の存在もはじめて聞くのだが、その女性21歳で突然死。その日だけ外泊を許してくださいというので、どこかに車で出かけて行った(もちろん会社の車で彼の車ではない)。 1週間くらいたって彼の態度も普通になってきた頃、少しだけその亡くなった女性に関する情報が耳に入ってきた。普通の家の普通のお嬢さんではなさそうである。田舎から来て夜の世界で働いている女性のようで、何処でどのようにして知り合ったか?は分からないが、ドライバーの身分でいつも大金を持っているわけでもない若者が付き合ってゆける相手ではなかったはずだ。男と女の仲ゆえ、女性のほうが強い情熱で呼び寄せていたのかもしれない。ミャンマーの女性は、積極的というか、大胆なところがある。兄のドライバーが大人しくしていたのもつかの間、また別の女性から電話がかかるとそわそわしている(この文章を書いてる時にも電話がかかってきた)。

 ヤンゴン大学前の喫茶店には、15、6歳の少年が働いている、ものすごく食べて太っているので「ブタ」と日本語で呼ばれている。私が付けたわけではない。この子の兄はトラブルがあまりに多く、兄弟ケンカで弟にナイフで切りつけてからは、自主的にやめて田舎に戻っている。この兄弟の父親は居ないと聞いていた。入店してまもない頃ブタと呼ばれる弟に、「お父さんは何時亡くなったのか?」聞いたことがある。意外な答えだった。「亡くなっていませんよ。隣村で新しい嫁さんもらって、娘がいるって」一瞬申し訳ない気分になってしまった。ミャンマーで田舎の男が、離婚して残された家族に経済的に支える習慣も余裕もないだろう。ブタの家族が赤貧洗うが如しでも、別れた父親は知らぬ顔らしい。その話を里子に言ったことがある。子供は甘やかすと何処までも増長するので、15歳で1日中働いているブタを、かわいそうだという感想が聞けるかと思っていると、里子のガドンの答えも意外なものだった。「うちだって同じだったんだよ」と言う。どうやら何年か前に里子の父親は、別に所帯を持っていたらしい。田舎で男前の父親はなかなかやり手で、手には田舎の金持ちの証の金のリング、金のチェーンも首にかけていたらしい。農作物や穀物を町に売りにいっているうちに、町の酒場で歌手をしていた美女に心奪われて、とうとう町から戻らなくなった。貴金属を売ってしまいもう金目のものがなくなると村に戻ってきて、勝手に牛を売ったりして金を作ると又町に戻ってゆく生活が続いたそうだ。おばあさんから遺産としてもらった田畑を母親が1人で守り、兄弟3人を育てていたのだろう。詳しい話を聞くのもはばかれるので具体的にはその顛末は分からないが、金の切れ目が縁の切れ目、その女性と子供までなした父親だが何年か後に田舎の家に戻り、その女性も又別の金のある男と所帯を持ったと言う話だ。里子の下に10歳年下の三男が生まれているし、今は夫婦仲は上手く行っているのだろう?しかし、この家族の実質的に失ったものは大きい、牛、水牛、水田。隣に住む父親の弟の家のほうがうんと裕福で、反対側の家に住む父親の妹の家族も、又里子の家に比べれば裕福である。ドライバーの兄も、そんな親父に反発してヤンゴンに働きに出てきたんだろう。この間、私がこの兄弟と一緒に田舎にも行き、その後両親を連れてヤンゴン戻ってきて、兄のほうは自分の運転する車でヤンゴン中を案内していた。自分のシャツも父親に上げていたし、和解したのだろう。

 この世に、男と女がいる限り、男と女の物語は、何処の国でも同じとはいえ、身近にもさまざまな男と女のドラマがたくさん転がっている。

2005年 6月3日 深夜
by 木村 健一

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