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日本で想うミャンマー〜その2 2005/2/3


 九州の田舎町にも、雪が降ってきた。雪を見るのは本当に何年ぶりだろうか?ミャンマーに住みだしてはや7年、その間に10回以上日本に戻っているが、1月に帰国するのは初めてである。今の時期でも25度はあるヤンゴンから戻り、久々に経験する寒さに震えている。突発性難聴といわれた左耳の治療のために、病院に行く以外は田舎の家に閉じこもっている。先週から針灸とマッサージをあわせて試している。原因が良く分からず、治療方法も未知の難病だそうだ。

 田舎の家にいると、俄然テレビが唯一の娯楽になる。友人からいただいていたのにまだ見ていなかったビデオなども、この際とばかり1日に何本も観る。テレビニュースで驚くのが殺人の多さだ。わずかばかりのお金のためにたやすく人が殺される。ある女性などは夫に隠れて浮気していて、その相手に(前科あり)「バックを買って」とねだったために殺されたとか。前回も書いている我が故郷のF市で起きたMさん一家4人殺害事件も、3名の中国人犯人のうち2名が、中国の裁判所で死刑と無期懲役の判決が出た。またF空港に勤める若い女性が、早朝6時の就業に間に合うように徒歩で人気の無い公園を横切る時に(街灯も事件当時消えていたそうだ)、殺されている。また別の番組を見ていると、「防犯」をテーマにした番組で、現在はピッキングなどの犯罪は減少して、いきなり窓を割って(カギの部分だけ最小限に小さくわって)侵入する強盗犯罪が増えているという。田舎の一戸建ての古くて広い家、以前の持ち主は家族9人で暮らしていたという家を13年前に買った家だ。隣は空家になっている。反対側は小さな畑。近所に家々はあるものも、木造の築30年近い家である、賊が入ろうと思えばどこからでも入れる構造である。ある夜などは数軒先の犬が夜じゅう吠えていた。いい年した大人で恥ずかしい話だが、古くて広い家に独り正直怖い。ヤンゴンでの住まいは、大勢のミャンマー人と一緒に暮らしている。またビルの入り口には24時間体制で6名のガードマンが常時3名が待機している。また、夜10時以降は鉄の棒で出来たシャッターが降りる。部屋のドアはカギが3つ(2つしか使っていないが)、外出時は、木製のドアと鉄の棒で出来た金属のドアで2重になっている。不安や恐怖を感じた事はまずない。しかし、この日本の家屋のなんと無防備な事と、降りしきる雪を見ながらミャンマーに早く帰りたいと、つくづく懐かしく想った。

 去年2004年は、4月と9月に里帰りをした。その時、肌がかさかさになり唇も乾燥して、生まれて初めてリップクリームなるものを買って塗った。11月くらいか、ヤンゴン在住の若者(30歳前後?)が、8名くらい集まった会があった、その時にミャンマーから日本に戻って戸惑う事、気付く事柄などを自由に上げてもらったら、「日本の冬の乾燥に対処できない」というのがあった。また之は数人の方が同感といっていた事、相手の話にうなずく時、ついミャンマー語の「ホゥラ?」(そうなの?)位の意味だが、私もこの言葉はよく出る。友人に「ごめん、ミャンマー語だった」と言ったら、気が付かなかったらしい。

 今は厳寒の冬の真っ只中だから、さすがの私もそれなりの冬の服装をしているが、夏場に帰った時はほとんどミャンマーと変わらない、ジーンズにポロシャツ、サンダルにシャンバックというイデタチで歩いている。喫茶店などで友人と待ち合わせて話をすると、友人は言う「アンタ変よ」すかさず私も言う「どこが変なんだよ?」友人が続けて言うには「50の親父が日本じゃそんな格好しないよ」といわれる始末。確かに日本でシャンバックは目立つ、しかし、便利なのでついつい使ってしまう。まぁ、日本にいたらミャンマーは本当に現実なのだろうかと思ってしまう。とにかくあと3週間は少なくとも戻れないので日本でエッセーを書いてみたら、こんな夢のない内容になってしまった。

2005年2月1日記
by 木村 健一

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