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ある若い夫婦の物語(その3) 2004/2/15


 このシリーズも3人目だ。全員ごく身近なレストランのスタッフの結婚模様をお届けしている。今回はレストランのマネージャー、ターリントンの登場である。

 私がヤンゴンに来て一番付き合いの長い人物。28歳、ビルマ族、敬虔な仏教徒(1年に1回は出家している)、酒タバコやらず真面目、働き者、最も信用できる人物。つい最近まで、彼に恋人がいることも知らなかった彼の結婚は、周囲が猛反対してかえって結婚が早まった典型だと思う。とにかく恋人のことを聞いた直後から、2ヶ月くらいで披露宴を行ったので、まさに電撃結婚といえるかもしれない。

 結婚のことを書く前に、彼の経歴などを紹介してみよう。何度かエッセイにも書いている。中央ビルマの中でもほとんど雨の降らない、貧しい農村の出身。1988年小学5学年の時、ミャンマー国中の学校という学校が閉鎖になった時、彼はお寺に入っていた。学校は再開されたが、その連絡が遅れて2週間後ほどに小学校に行くと、2週間も授業が遅れているから来年来なさいと校長先生から言われたそうだ。それで、そのままお寺に戻ってコーイン(小坊主)として、18歳まで過ごす。初めてヤンゴンに出てきた時には19歳になっていた。何軒か食堂のようなところに職を得た。その後、ミャンマーの伝統的な食事で有名な「ダニュビュー・ドウソーチ」という店で働き始める。たまたま近所に住むウ・トントン(同じ名前の人が私の周りだけで4人いる)が、彼の働き振りに目をつけて、友人がやっているホテルに彼を紹介した。最初10学年も終了していない(5学年だから話にならない)英語もできないというので、女マネージャーが難色を示したが、ウ・トントンが「とにかく使ってみろ、良く働くから」と言ったらしい。それから1年後、私がこのホテルに3ヶ月ほど長期滞在した時に、「ある若い夫婦(その2)」で紹介したソーティハと彼と仲良くなった。果樹園をやるところまでは既に書いたので重複を避ける。その果樹園の仕事を辞めさせた後、もともと日本語が少しできていたし私も教えていたので、WIN日本語学校に入れた。その後も友人のレストラン手伝わせたり、SANAY旅行社を手伝わせたりしたが、どこの職場でも重宝がられる。それでゼイヤミャインのビヤレストランの話が来たとき、まだ若すぎると言う声もあったが、思い切って彼にマネージャーをやらせた。あれから2年4ヶ月、店が繁盛しているのはマネージャー、ターリントンのおかげである。

 さて、いよいよ恋人の話に行こう。なんと彼女の家はレストランのある公園の真ん前のアパートの1、2階である。軍人であった父親はすでに亡く、母親と兄弟6人(兄が3人、姉が2人)いる。長女、長男、次男は別に所帯を持っている。彼女は大卒で学位を得て、国営の銀行に働いていた。家族全員で、目と鼻の先にあるレストランに3、4度食事に来たことがあって、その時からこの彼女のことは気になっていたそうだ。同居してるチビ男の三男が結構酒癖が悪くて、一度店で問題を起こしたことがある。その後、この三男である彼女の兄とターリントンがすごく仲良くなった。2002年ワールドカップサッカーをやっていた頃、衛星テレビがある三男の家にターリントンも他のスタッフと一緒に観戦に行っていたそうだ。それで少しづつ彼女とも口をきくようになって、お互い相思相愛になるのにそう時間がかからなかったようだ。しかし、そのことが三男の知るところとなって、三男が毎日妹を責め続けたそうだ。「水商売で学歴もなく自分の家もない男とどうやって所帯を持つのか? 何を考えてるのか!」などと。あまりのことに彼女はもうこれ以上この三男とは同居できない、彼女一人なら他の親戚の所に身を寄せれる所はあるが、ヤンゴン市内ですぐに2人で暮らせるのはそう簡単なことではない。このとき2人は、2年くらいお金をためて結婚できればいいと話し合っていたそうである。

結婚式での記念写真

 この間の2人の間の伝書鳩を勤めたのが、10歳くらいの田舎から来ている家事手伝いの可愛らしい女の子だ。店に彼女からのメーセージを届けたり、ターリントンの伝言を伝えたりしていたようだ。彼女が家を出るという話までなった時、母親が動き始める。長男と母親がターリントンと話をしたようである。そして真面目な彼に好意を持ってくれて、結婚を許してくれたそうだ。納まらないのが件の三男である「ターリントンを殺してやる」とまで言っていたそうである。ここからが私の出番である。カンドージの住まいの上の階に別の部屋を持っていた。その一室を彼たちの住まいにすることにした。そこには電化製品もあり、それも使えるようにしましよう、結婚披露宴も私のほうの費用で全てやりますということを、母親と長男を呼んで伝えた。どれで、向こう側も安心されたようだ。後は結婚に向けて準備がものすごいスピードで進んでいった。そこへ、急に日本から私の元に「兄が癌で手術」という電話が来て、日本に帰国することになった。、

ミャンマーの結婚式では恒例の写真

 1、2週間だけ披露宴を遅くしてもらった。幸いなことに、兄も検査した結果癌でないことが分り、10月末にこちらに戻って来た。そして、レストランのスタッフで部屋を飾り付け、テーブルセッティングなども全てを自分達でやった。11月2日の日曜日、招待客が150名以上来た。ミャンマーのパーティは、その時間内に客がダラダラと来てダラダラと帰るやり方なので、結婚披露宴用の会場でもないのに、何とか150名のお客様を迎えることができた(しかし、もうやりたくはないというのが正直な気持ち。やはり150人という数は普通の家でするには無謀な数であった。何とかうまくいったものの、同時に100名くらい来たら、パニックになっていただろう)。ターリントンの父親や村の元村長や親戚の人も、最初は、「嫁の器量が悪い」など陰口ばかり言っていたが、盛大な披露宴にご満悦で、たくさんの写真とビューカムで撮った披露宴のビデオをVCDに焼きなおしたものを村人に見せると、意気揚々と村に帰っていった。こうして、仲の良い夫婦が私の住まいの上で暮らし始めている。

by 木村 健一
2003年12月記

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