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ある若い夫婦の物語(その2) 2004/2/15


今回の主人公、ソーティハ

 ある若い夫婦の物語(その1)を書いて1年以上が経つ。ヤンゴンに来て結婚式には20回近く参列しているが、今回書こうとしている夫婦の結婚式には行っていない。

 式場のディデエに外国人が入るには、いろいろ手続きをふまなくてはいけない。結婚式の当日によけいな手間を取らせたくなかったのと、その頃体調も悪かったのとで、ウミャライ(仕事上のパートナー)とマネージャーのターリントン、ドライバーの3人を見送った。

 新郎の名前はソーティハ、中国の映画俳優に似てるといわれている。まぁハンサムな部類に入るだろう。ヤツとの付き合いも長い。98年にヤンゴンで暮らし始めた長期滞在のホテルで、今レストランのマネージャーをしているターリントンとともにそのホテルに働いていた。そのホテルではこの2人だけがビルマ族で、オーナーとマネージャーはシャン族、他の大半の従業員がカレン族だった。私はビルマ語を習いに来ているわけだから、自然このビルマ人の2人と仲良くなった。その後、ホテルを出た後、すぐ近所のアパートに暮らしだし、この2人に掃除に来てもらうことにした。かれこれ6年の付き合いになる。2人とも真面目でいい青年なので、何か私にできることで2人にチャンスをあげたいと考えるようになった。ターリントンは小学4学年まで、ソーティハは高校まで行っているが大学資格試験(10学年の試験)に合格していない。こういう若者には就職口も極端に少ない。そのホテルが、問題を起こして3ヶ月営業停止になった時期があった。そのときに彼ら二人に何か仕事をしてもらおうと、そのホテルをやめさせた。結局私の提示した金額でできることを考えた2人は、ソーティハの故郷ディデエで果樹園をやることにした。お金の契約書など作成したが、もとよりお金が戻って来ることは期待していない。しかし、返せるように頑張って欲しいと思っていた。

これが問題の橋
 1年目、洪水になって1年目の返済不可能。2年目、ソーティハが身に覚えののない暴力事件に巻き込まれ、裁判費用で返済不可能。そうこうするうちに、ターリントンがなれない外の仕事で腰を痛めたのを機会に彼をヤンゴンに戻した。3年目、他の従業員を雇って果樹園を続けていたソーティハだが、果樹園の直ぐ近くに大きな橋がかかることになって道が遮断され、果樹園に行けなくなった。結局、この仕事は断念。その後もいろいろな仕事をやるも全て失敗。とことん運のないヤツと思っているとことに、私のほうにレストランをもう1軒やらないかという話があった。「うーん運がないヤツだけど使ってみるか」と思っているところへ、毎年日本から来ている友人が、4年ぶりにディデエに行ってみたいと言い出したので、一緒にウミャライの運転でディデエに出かけた。その時、友人と私の「ヤシ酒が飲みたいリクエスト」に、ソーティハが友人の家でヤシ酒を振舞ってくれた。我々がヤシ酒を飲んでいるときに、ウミャライ1人ソーティハの家に残っていて、母親が涙ながらに彼に言ったそうだ。
「長女も長男もつつがなくやっているのに、、末っ子のソーティハだけが何をやっても上手くいかない。運が悪い。日本人マスターにお金も返せないでいる」
ウミャライも義理人情の人、早速私にソーティハにもう1回チャンスをくれと言う。私も新しい店の計画があったので、バタバタと話は決まった。結局、新しい店のマネージャーは別の大卒を使ったけど、1軒目のレストランの会計として働き始めた。

 ソーティハがヤンゴンに来てしばらくして、ある日彼のもとに電話がかかってきた。高校時代からの相思相愛の娘さんが妊娠したらしいというのだ。これは双方の母親だけが知ることで、ミャンマーは母親がしっかりしているので、双方の母親が話し合ってとにかくお腹が目立つ前に、即刻結婚させようという話になったらしい。それでなんどきも運のないソーティハはデェデエに戻り、結婚式を挙げた。私は参列していないのでその様子は分らないけれど、嫁になる女性は1度挨拶に連れてきていた。目のきれいな、ちゃんと化粧でもすれば相当美人になるだろう。いや化粧してなくても美人である。結婚の模様は、その後何枚かの写真で見た。結婚式からしばらくして、ソーティハに尋ねてた。
「赤ちゃんはいつくらいに生まれるの?」
そうすると、ちょっとあたりを見回して私の側に来ると、「実は、、、」と話し始めた。嫁になった女性には仲のいい弟がいて、その弟も姉の妊娠は告げられていない。いつもと違うへっぴり腰で洗濯している姉を、弟がからかうつもりで後ろから押したら、打ち所が悪かったのだろう、流産してしまったそうだ。式は3日後である。今更延期もできないだろうから、式は予定通り行われたそうだ。半月くらい彼が休暇を取ったのは、そんな嫁さんへの配慮だったのかもしれない。高校時代から、誰もがうらやむカップルだった2人である。美男美女のカップルも結婚までに10年かかっている。これで彼女が妊娠してなかったら、結婚はいつになったかわからない。彼女は大学も卒業しているし、美人で家もしっかりしている。他からの縁談もきっとあったと思う。しかし、初恋を貫き通した2人に幸あれと思う。今は、休みを取ったソーティハが待ちきれなかったとばかり、早朝からディデエに戻っている。1ヶ月に3、4日の新婚生活。しかし、夫婦にはいろいろな形があるのをソーティハを見て思うこの頃である。

 私が知っている別の御夫人は、家も建てた、車もある、子供2人は名門校に通っている。全て日本にいる夫の仕送りから裕福になった家族である。しかし、その御夫人がポツリと言った言葉が印象に残っている。「夫は東京から10年も帰らない。生活は豊かになったけど、私は未亡人と同じ」

by 木村 健一
2003年11月記

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