ミャンマーで考えたことミャンマー大好き行ってきました

日本で想うミャンマー 2004/1/2


 2003年は2回日本に帰った。4年間のUFL(ヤンゴン外語大学)時代(1998年〜2002年)は、年に1度帰国していた。日本の田舎の家に着くと、ほとんど6年前のままの状態なので、始めは精神的に落ち着くしゆったりとした気分になる。山のふもとにある家は、とにかくヤンゴンでは考えられないくらい、空気がきれいで騒音がない。毎日散歩に出る。10年前に買った家だが、ほとんど別荘のように使っていたので、近所に知り合いもいない。散歩の時に気付くのは日本の家の無防備さだ。ヤンゴンの基準からいうと、泥棒に入ってくださいと言ってるようなものだ。しかし、それだけ犯罪が少ない証拠ともいえる。しかし、最近は福岡でも、背後にまだどす黒い噂がある松本さん一家4人殺害事件があり、中国人3人が捕まったばかりだし、犯罪は増えている。

 日本では、まぁ数々の用事がある。銀行行ったり、友人に会ったり、新しい機械買ったり、そうこうするうちに1、2週間はあっという間に過ぎる。日本で思うヤンゴンは、なんというか実体のない虚構のように思える。日本とのあまりの違いに、何か夢のような気さえする。一番困るのが、友人に「ミャンマー語ってどんな感じ、何でもいいから少し話してみて」といわれて、相手もいないのにしゃべれるわけでないし、日本に戻ると頭は完全に日本語モードになっている。

福岡市内にもマンションの部屋を持っているが、ここは人に貸している。今現在日本での唯一の収入源である。ヤンゴンでつましく暮らせばこの部屋からの収益だけで暮らしてはいける。この部屋を管理してもらっている不動産の友人にも帰国の度に会っているが、彼からもらう情報は一番信頼が置けるものである。その他、帰国の度に会う友人は限られてきている。淋しいことだが、やはり手紙も電話もメールもくれない友人には、こちらとしても会いにくい。どうして返事くれないのかと?考えた事もあるが、人には人の事情もあるのだろう。また、私の年齢位の人でメールをやってる人が少ない。学生時代の友人などはほとんどやっているが、飲食関係の友人にはやっていない人も多い。

 実際私も、メールもインターネットもヤンゴンに来てからやり始めたのだ。もしヤンゴンに来なかったらメールをやってなかったかも知れない。それで、メールをしてない知人、兄弟、友人、それに返事が途絶えがちの人ともだんだん疎遠になって来ている。淋しいけど、現実はそんなものである。それに、日本ではPCを持っていないので、メールも出来ない。FAXも壊れている。田舎の広くて古い家で家事をしてくれる人もいない、車もない。ヤンゴンでは、お手伝いさんやその他身の回りのことをやってくれる男性スタッフや、ドライバーも2人いる。日本での生活は私にとって全く不便である。友人に市内で会うにしても、バスや地下鉄、たまにはJRを乗り継いでいく。以前はよくタクシーを利用したが、深夜市内から田舎の家までタクシーで帰宅すると、うちのレストランの新人の給料くらいになってしまう。1ヶ月間一所懸命働いてくれた給料と、酔ってタクシーに乗って帰宅した代金が同じだと、その子達に申し訳なくて、ほとんどタクシーを使わなくなった。

 まぁそんなかんやで、1週間くらいでヤンゴンに戻りたくなるので、用事を急いで済ませてはすぐヤンゴンに戻っている。しかし、日本もまたかけがえのない私の祖国なので、この二重生活がいいのだと思うし、まだまだこれは続いてゆくだろう。ただ、私にとってはヤンゴンが自分の居場所にもうなっているのは確かだ。

by 木村 健一

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