ミャンマーで考えたことミャンマー大好き行ってきました

ある若い夫婦の物語(その1) 2002/8/5


 レストランを開いて1年がたとうとしている。連日良く客が入っている。金は出すが営業にタッチしない、まぁ食事代がただになったくらいで私の生活自体は変わらない(本業は留学生なんだ)。それにしても、従業員は若くてよく働きまじめである。ほとんどがマネージャーを勤めるターりントンの村、もしくはその周辺の村出身だ。いわば田舎者の集まり、16歳から25歳くらいの若者ばかりである。

 昨年の10月雨季の終わりのタディンジュ祭りの時、ミャンマー人が一生に一度は行きたいと言うチャイティーヨー(別名ゴールデェンロックパゴダ)に、総勢15名で1泊2日の旅に出発した。オープン1ヶ月しかたってなかったが、前の年に連れていった2,3人を留守番として残し、店を4日間休んで。15名のうち、半分くらいが日本でいう高校生くらいの年である、もっとメチャクチャな旅になるのではと心配してたが、杞憂に終わった。私自身は4度目のチャイティーヨーである。以前の旅では30ドル(ミャンマー的には大金)も払ってホテルに泊まっていたが、今回はミャンマー人と一緒に夜食事して、そこの2階に泊まった。雑魚寝である。なんだか遠い昔の修学旅行を思い出したりして、結構疲れていたので、ぐっすり休めた。

 物語はそこの宿泊できる食堂から始まった。うちレストランには3人のコックがいる。その中のNo.2のコックと3,4人のうちの若者が、モーラミャインから来たという女性3名と朝食の時間に親しくなった。これも修学旅行の学生よろしく、住所交換などやっている。それから一緒に写真を撮ったりしていたが、それはそれで楽しい旅の思い出でになるだろうくらいにしか考えてなかった。ところが1週間後に、そのうちの1人の女性がモウラミャインからNo.2(No.2のコック、ミンジョー)に会いに来たのだ。No.2は、まぁハンサムだけど何かいつも暗い感じの奴で、なぜ彼だけ女性にもてるのか不思議である。それ以後もほとんど毎日モーラミャインから長距離電話がかかってくるようになった。

 そしてとうとう半年後のティンジャン(ミャンマー正月、水祭り)の時に、モウラミャインから押しかけ女房とでもいうかNo.2と結婚すると言って出てきてしまった。女性が27歳、No.2はまだ21歳である。南ダゴンに住む女性の姉の所に二人が連れ立って行くと、交際を反対されたという話しは聞いた。そんなこんなで、ティンジャン祭りが終わっても2人がどこで何をしているのか行方がわからなくなってしまった。

 もしNo.2が結婚で辞めてどっかに行っても、No.1のコックが非常に優秀なのでそれでいいやなんて思っていたのである。そこへ、今度はNo.1の母親が亡くなったという悲報がはいり、彼が葬式のために田舎に帰らねばならなくなった。とてもじゃないが、経験の浅いNo.3のコック1人では営業できない。そこで、マネージャーがいろいろ探して、駆け落ち状態の2人を探し出した。3日位店を無断で休んだことも何も言わなかった。とにかく、コックがいないと店を開けられないので、店に隣接している寮を4分の1くらいを竹の壁で区切り、そこで「しばらくの間」2人を住まわせることにした。

 しかし、高校生くらいの若者が住んでいるいる寮で、竹の壁1枚で夫婦者が住むというのも、どちらにとってもあまり好ましいことではない。それに、私が黙ってるとこの女性は全く挨拶もしないし、働くわけでもなし、、、、とうとう1ヶ月がたったので、No.1のコックもとっくに戻っていることなので、思いきって言うことにした。結婚に反対はしないけど、他に住むところを探してほしいということを。

 やっと彼らは次の行動をとりだした。正式な結婚である。No.2はすでに両親がいないので、2人してマグエ州まででかけて、No.2の長兄を連れてきた。彼ら2人と兄ともう1人保証人になる人、計4人でモウラミャインの女性の家族(父親はいない、母親と7人兄弟、大きな喫茶店を経営とか)に結婚の承諾を取りに出かけたのだった。

 向こうの家族の承諾も取り付けて、正式にお坊さんも呼び、結婚式もつつがなく終えた。そして、No.2だけ戻ってきた。アパート代がたまるまで女性はモーラミャインで待つと聞きいた。しかし、No.2は両親が早くに亡くなり、下の兄弟のための借金、加えて結婚のためにも私からかなり借金してるので1年くらいは返済だけにかかる。それから金をためたとしてもなかなか貯まらないだろう。ヤンゴンは居住費がべらぼうに高いのだ。

 私は2年前にマンションの部屋を2部屋購入して、上の部屋を日本人の友人に貸していた。しかし、その友人が急に引っ越していきなり部屋が空いた。その部屋には、洗濯機、テーブル、食器棚、ベットなどもあるし、かなり広いので1部屋だけなら使ってもいいとNo.2に言った。すると、8月からと言ったのに、7月の25日頃にはもう妻になった女性がモウラミャインから出て来たのだった。それに、これから夫婦で生活するというのに、何も持ってきていないという。私は部屋を貸すと言っただけで、全部面倒を見ると言った覚えはない。だが、布団がなければ寝ることもできない。しかたがないので、布団、枕、毛布、皿などの食器、スプーン、扇風機、洗剤、石鹸など生活できる用品をそろえてあげた。しかし、ミャンマー人の常で、この女性は一言の「ありがとう」もなかった。

 この私の親切心、周りには不評だった。マネージャーや名義上店のオーナーのおっさんからも、しかられたのだ。ミャンマー人に部屋を貸すというのは、すべて面倒見ると言う意味なのだと。どうして貸すと言ったのかと。今は従業員もふえて、他に19人の独身男性がいる。1,2人ならこれくらいの面倒はみることはできても、全員となるとやはり無理だ。周りの人たちから今回のやり方はまずかったと言われたのも、もっともである。それにしても、彼が無一文と言うことは先刻承知してたが、相手の女性のほうの家は大きな喫茶店をやっているからお金がないわけではない。それに、彼女の親兄弟もこの結婚を認めている。それなのに、なぜ枕を買うお金もないのだろうか。そんなので、なぜ所帯をもったのか。などなど、愚痴にはならない愚痴を言っていた時であった。何と、いきなり宝くじに当たったのだ。あの、いつも暗くて運のなさそうなあのNo.2がである。宝くじには1等3000万ksなんてすごいのもあるが、彼が当たったのは43万ks。それでも彼の年収の3倍近い金額だ。それで私から借りてる借金は即返してくれた。彼のように田舎からヤンゴンに出て来た若者が、ちゃんとしたアパートを借りて生活するには、このように宝くじにでも当たらない限りできないのが現状だ。

 その後、この女性は外国人と話したことがないので、私に挨拶もしなかったとわかった。姉妹がすでに結婚しているのであせりもあったのかもしらないが、チャイティーヨーで一目惚れして、その恋を成就させたわけだからすごいものだ。そして料理が大変上手なこともわかり、毎朝彼女の手料理から私の生活もスタートしている。典型的かどうかはわからないが、私に最も近いある夫婦の物語でした。

by 木村 健一

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