ミャンマーで考えたことミャンマー大好き行ってきました

ジョウピンター村に行く3〜4

2001/8/31


ジョーピンター村に行く3 (ボランティア事業について)

 さて村に行く前に、パガンにあるBAJ(Bridge of Asia to Japan)の事務所を訪ねた。A君が出発前から連絡を入れていたそうで、可愛らしい日本女性が、BAJが今取り組んでいる、パガン内陸部30ヶ村に井戸を掘るプロジェクトに付いて説明してくれた。

 今現在5つの村で、井戸の掘削に成功しているそうだ。過去パガンの内陸部に水を供給するプロジェクトは、ユニセフを始めいろいろな団体が取り組んできた。20年位前の話らしいが、イラワジ河の水をくみ上げて、地中に埋めたパイプラインで内陸の村々に送るというユニセフのプロジェクトが終了した。しばらくは水の供給が出来ていたそうである。しかし、モーターの故障かパイプが詰まったのが原因か良く解らないままに,水の送付は中断されたままになっている。ターリントンの村のジョーピンター村と隣のクドー村の村境にもそのパイプラインは来ていて、地中から鉄柱が出ている。かつては,その鉄柱から水が勢いよく出ていたそうである。今はクドウ村との分かれ道の砂地の中から、錆びた鉄柱だけが空しく立っている。その他のプロジェクトでも、井戸を掘りモーターを取り付けでプロジェクトは完了した事になっている。しかし、貧しい村ではモーターが故障した場合、その修理費も払えず使えないまま放置されたり、金を持ってる個人が、村から井戸ごと買い上げて、井戸水を有料化している例もあるそうだ。そこまではプロジェクトチームも村に付きっきりで指導にあたる事も出来ず、ボランティア事業の難しい点である。

 日本にいた時にも、ミャンマー人の留学生にボランティアの難しさに関する話を聞いたことがある。その学生は、メティーラから来ているMさんというとても優秀な留学生で、ある銀行が制服の古着が大量にあるので、それをミャンマーに寄付したいとMさんに申し出たそうである。ダンボール箱何個になったかわからないが,メティーラに送られた。そこまでならば美談で終わったかもしれないが,メティーラの母親の元に、マンダレー郵便局から荷物を取りに来るようにと知らせが来て、母親はトラック2台を借りて片道3時間かけてマンダレーまで荷物を取に行って、税金として6万Ks、5年前の話なので日本円で4万円位を支払ったそうである。ミャンマーでは、日本のように郵便局は自宅まで宅配してくれない。そして、届いた制服がキュロットスカートで、ミャンマーの女性は誰もそんなスカートをはかないし、第一おしゃれで衣装もちのミャンマー人は、他人と同じ服を着たがらない。結局銀行側の好意もMさんの母親に、多額の出費をさせただけとなったようだ。


ジョーピンター村に行く4

 さて、いよいよ村に出発する事にした。ニャウー市場で、村では貴重品の米を大袋ごと、その他野菜なども大量に買い込んで,午前10時晴天のパガンを出発した。途中BAJが井戸の掘削に成功したという村があるというので、その村による事にした。

 村の名前を忘れてしまったのだが,パガンから30分くらいの距離で、しかし幹線道路から内陸に入り込んでいるので、まず観光客など来る場所ではない様子。村人は素朴で親切。村長にあいさつに行くと、村長自らが井戸まで案内してくれた。地下600ftでいい水脈に当たったそうで、水もおいしくて冷たい。村の宝なので常時見張りを置いているそうだ。BAJのプロジェクトは井戸が完成した後は、村の中に井戸の委員会を設けて、さまざまな問題が生じた時は委員会で話し合って解決していくように指導しているそうだ。ターリントンとアウンジーは、BAJの事務所で、プロジェクトの30ヶ村の中に自分達の村の名前を見つけて大喜びしていた。しかし,資金不足の問題もあり、また掘削する順番は未定だというと伝えると2人とも少し心配になったようで、隣のクドウ村が、村で資金を出し合って井戸の掘削を試みたけれども、3箇所を1000ftも掘り下げたけれども水が出なかったらしい。それをBAJが科学的な探査機を使って場所を特定し掘削したところ水が出た話を聞いて,隣村までプロジェクトが来ている事に希望をもったようである。

 さて本題に戻って、ジョーピンター村を目指している。2年前に新しい道ができたらしい。道といってもこれが大変な道である。牛車も通るというより牛車の方が車の何倍も利用している道である、牛車がつけた轍(わだち)が深い溝になっている。その溝を右に傾き左にゆれながら車は進む、パガンから2時間半ほどで村に到着した。

 まず我々が案内されたのは、ターリントンの祖父の家で、宿泊するのはその裏手にある親戚のおじさんの家の2階に決まった。ターリントンの話からもっとヒドイ家を想像していたので,正直ほっとした。こざっぱりと整理された清潔な家屋で、村でも有数の金持ちらしい。主人はエヤワディ管区のピャーボンと言う町でお菓子作りで成功した人で、そこにも村からたくさんの人が働きに出ているとか、家には奥さんとおばあさんと9歳になる末娘が住んでいて、2人の兄と姉はヤンゴンで学んでいるそうだ。末娘は村で1番の美少女とかで、写真をとってあげると言うと、母親から1時間かけて化粧をしてもらっていた。(ミャンマーの子供はさまざまな行事や祭りの時によく化粧する。)3日間という短い滞在だったが、人口1300人の村を歩き回っていると、何処に行っても子供がおおぜいついてくる。こんな海からは遥かかなたエヤワディ河からも相当はなれた内陸地だというのに、村の道がまるで海岸端の砂のようなサラサラの砂地なのだ。

 こんな小さな村にも、やはり多少の貧富の差があって家々の造りからして違っているし、どの家にも2頭の白い牛がいる、牛車をひいて農耕に使われたり村はずれの池まで水くみに使用されたり、村の生活には欠かせない存在だ。その牛もよくよく見ていくと、5万Ksのやせたのから、10万Ksしたといりっぱな牛まで様々見ることができる。

 あちらこちらの家から「チュエしたい!」つまり食事をご馳走したいという申し出があり,何処の家でも大歓迎された。たぶん外国人などほとんど来る事も無い村に、私もそれなりには話せるが、A君は発音もいいし流暢に会話ができるので、「日本人と話が出来てこんな嬉しい事は無い」と村の人は大変喜んでくれた。A君はミャンマーの政治学の研究者なので、私のようにただ田舎の村を、ぶらぶらしている訳にはいかない。西隣のクドウ村,東隣のガビュ村も訪れて、まずは村長を表敬訪問する。ガビュ村は近隣では1番大きな村で,ジェネレーター(自家発電の機械)で夜間は街灯がともるし、村自前の井戸もある。最近はたぶんバスケットフォンだと思うのだが、1台電話機も据えられたそうである。

 そんな村の村長達に、A君は同じ質問をしている「村長にとって一番重要な仕事はなんですか?」村長たちの答えは同じだった。
「水の供給につきる。」
特にまだ自前の井戸が無いジョーピンター村は深刻な問題です。40少し過ぎたくらいのいかにも真面目そうな村長が、「今年は、雨季なのに雨が降らない。このままだと池は干上がり隣の村まで水をもらいに行かねば成らない。」その村長にBAJのプロジェクトの話を持ち出すと,目を輝かせて「本当か?それは素晴らしい!それでいつその事業は始まるのか?」と尋ねられて、「近い将来、、、、、」とか答えられない辛さはあったものの、非常に喜んでくれた。しかし、BAJの人からは、今のところ5つの村には掘削に成功して水が出たけれども、ジョーピンターのように、河川から遠く内陸部の地区では100%水が出る保証はできないという話は、村長にはできなかった。

 村を出発する日、にわかに空が曇ってきて2ヶ月ぶりに雨が降った。村人は我々が雨を呼んでくれたとまた喜んでくれて、短い村訪問だったが,田舎の純真な子供や、たくさんの人たちと食卓を囲んで話した事柄など、とても思い出深い旅になった。

by 木村 健一

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