ミャンマーで考えたことミャンマー大好き行ってきました

いなかっぺ(トーダー) 2001/5/1


 田舎の人のことをトーダ−という。うちにいる3人もまぎれもなくトーダ−である。

 ドライバーのおっさんウ・ミャライは、一応ヤンゴン管区生まれだけれど、橋がない時代は、川を2つも越えないとヤンゴン市内には来れない地区である。残りの2人、ターリントンとアウンジーウイン(以下アウンジー)は、パガンの近くの村である。近くといっても、ニャンウーから車で2時間はかかる。電気も水道も井戸も電話も郵便局もないジョーピンター村である。おもしろそうなので一度行った事がある。それは後から述べるとして、3人ともビルマ族である。酒もタバコもやらない、敬虔な仏教徒で暇な時は仏法の説教のテープを聞いている。何はなくてもとにかく善良な3人である。

 しかし、3人とも10学年を卒業していない。ウ・ミャライは4学年、ターリントンは1988年、全国の学校という学校が閉鎖になった時、お寺に入ったそうである。学校が再開した時、連絡が遅れて1週間だか10日だか遅れて学校に行くと、「おまえの頭じゃこの遅れを取り戻すのは無理だから、来年来なさい」と言われたそうだ。それで、そのまま学校に行かず、以後6年間もお寺で小坊主をしてたそうだ。アウンジーはというと、8学年の終了試験を3回落ちたそうで、そのまま学校を出て農業を手伝ってたそうだ。普通、10学年の試験を落ちるのはよく聞く話だが、8学年を落ちる、ましてや3回もと言うのは非常に珍しい。

 以前、私の友人がオープンするレストランでターリンが働くことになった。そのときに、2〜3人同じ村の者と一緒にアウンジーも誘った。アウンジーは、それまで田舎から出て来て別の店で働いていたが、その店が閉店になるというときだった。アウンジーにしてみれば、月給も1500Ksから5000Ksになったのだからいい転職といえるだろう。しかし、幾らなんでも月給1500Ksはひどすぎると思う。石鹸やタオルなどの日用品を買うと何も残らなかったと言っていた。その後、気が利いて日本語も少しできるターリントンは、去年の11月頃からSANAYで働き出した。レストランに残ったアウンジーだが、コックさんと前々から折り合いが悪く、ターリントンもいないことから、「やめたい」と言ってきた。それも本人からでなく、別の田舎の同僚がターリンの方に電話してきてたようだ。何度かそんなことの繰り返しがあって、ある不満から結局辞めてしまった。

 田舎に帰るというアウンジーに、とりあえずしばらく私の家にいるように勧めた。というのは、田舎から出てきてレストランに住みこんでいた彼は、休みも全くないし、ヤンゴン市内のことも全然知らないので、少しうちで遊んでから田舎に返そうと思っていたからだ。それが、居心地がいいのか居着いてしまった。レストランでは、仕事が遅い、のろま、と怒鳴られていたアウンジーもうちでは、誰もしかる人もいないし、ターリントンとも一緒だし住み心地がいいようだ。ある時、なぜレストランを止めた理由を問いただすと、やめる寸前に6000Ksに昇給したそうだ。レストランではお客からのチップも、店主が集めて給料日に従業員全員に公平に分けるそうだ。給料+チップで7500Ks彼にとっては、以前の1500Ksに比べれば文句は無いはずである。ところが従業員の中で、彼だけチップが1500Ksで、他の連中は2000Ks支給されてた事が納得できずに止めてしまったそうだ。今は、うちで黙々と洗濯したり、犬の散歩したりまじめに働いている。

 話は変わるが、多くの日本人がそうであるように、私も目が非常に悪い。ところがうちに居る3人は、視力3.0くらいあると思う。とにかく実験してみた。うちはキッチンとリビングルームが続いているので、かなり距離を取ることができる。すると、10m先のホワイトボードに書いた本当に小さな文字も読めてしまう。また彼らの白くて丈夫な歯。ターリンとアウンジーはまだ20代だが、おっさんは48歳というのに虫歯もなけれが欠けている歯もない。学歴は無くてもいろんな美点を備えている3人である。しかし、時々彼らが見せるトーダー振りに思わず笑ってしまうことが度々ある。

 アウンジーウインの名前の意味は「清らかに輝く成功」である。以前私が住んでいたビルに彼が初めて来た時、エレベーターの乗り方が解らなくて、5階まで歩いて上がってきたそうだ。デパートなどに行くと、あの動くエスカレーターという階段にどう足を乗せれば良いのか3〜4分迷っている女性をけっこう見かける。その他、彼は内陸部の乾燥地帯から来ているから、彼にとって水は本当に貴重品である。その水がシャワーで頭の上からいくらでも出てくることにビックリしたそうだ。彼らの友人も時々うちに顔を出すのだけれども、いずれ劣らぬトーダー達である。

 この愛すべき正直者のトーダー達は、この大都会のヤンゴンで、お互いによく助け合っている。村人同士の連絡網が張り巡らされていて、誰かが村に帰郷するという知らせがあると、すぐに伝わる。ヤンゴンに住む他の村人からお金や手紙、土産などを、村にいる家族のために集めて、自分の大きな荷物と一緒に持っていく。そして戻ってくる時は、田舎から手紙や土産、そしてヤンゴンで働きたい若者を連れてきたり、彼らの就職先をこれまた真剣に探している。村人同士の結束は固く、困った時は本当になけなしの金を出し合って助け合っている。昔の日本もこうだったのではないだろうか? 彼らから教えられる事の方が多い。

 そしてティンジャン明けの明日、トーダー達が村のニュースを携えて我が家に集まって来ることだろう。

(注1)ターリントンのミャンマー語の意味は、「100万の輝く明かり」。 (注2)私のミャンマー名、ミンアウンは、「高い成功」。名前に負けないように頑張ってヤンゴンで生きてゆこう!!

by 木村 健一

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