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ターマニャー僧正の思い出
ヤンゴン市内で通称ジャパン病院と呼ばれる、アウンサンマーケットにも近い病院にターマニャー僧正が入院されていると言うニュースが入ってきた。多くの患者さんが病院のロービーに置かれているテレビで病室の僧正の様子を心配そうにながめていたそうである。今日にでも行って見ようと出かけようとしたら、29日の朝にお亡くなりになって、もうご遺体はターマニャーの方に運ばれて行ったそうだ。我々が、モーラミャイン、パーアンそしてターマニャに行ってきたのは、もう1年位前になるだろうか。

ターマニャー僧正に会う旅 (モウラミャイン→パーアン→ターマニャー)

  2002年10月19日から、モーラミャインに行ってきた。ミャンマー第3の都市とガイドブックではなっているが、中国との貿易で栄えている都市が北のほうにずいぶん大きな都市ができているので、今は3位ではないだろうと、同行した経済学者のKさんが言っていた。それからうちに3ヶ月くらい居候していた東大大学院の研究生のI君は、専門がカレン族で2泊目がバーアンに行く予定で、このあたりはカレン族の多い地区である、バスの中でミャンマーの経済やカレン族の苦悩にまみれた歴史など2人のやり取りを3日間傍で拝聴できて、かなりアカデミックな旅行になった。

 その他日本語ぺらぺらのミャンマー人3人を含む5人、日本人10名のグループ。1日目のモーラミャインに到着してゲストハウスで手続きしていると、ミンジョウ(NO.2のコック)夫妻が、(ある若い夫婦の物語@のモデルになった2人)我々と同じく朝6時のバスで出発したのに1時間早く夕方5時に着いていた。我々は、新しくできた橋を通ってヤンゴンから全て陸路でやって来た。ミンジョウ達は、以前私が98年似1度モーラミャインに来た事が有るが、その時のように、ヤンゴンからバスで、モウラミャイン対岸にあるモッタマまで行き、そこからフェリーできたので、我々より早く着いたのだ。フェリーの上から見る、モウラミャインの風景もまたすばらしいものがある。

 2人が我々が泊まったゲストハウスに会いに来ていた。嫁さんの実家がやっている喫茶店が目と鼻の先にあった。妹さんの夫婦がやってる店もそのすぐ前にあって兄弟7人中ミンジョウの嫁も入れると6人がそろう。ミンジョウはこのモーラミャインに出発する前に店を辞めて嫁さんと2人何か小さな食堂でも始めるらしい。嫁さんの妹の旦那さんが資産家のようでその辺から援助金が出ているのだと思う。ここ2週間くらい毎日妹さんから電話があってたし、、、兄弟が助け合って生きている。父親はすでに無く目の悪い母親とも会って、やはり娘がモーラミャインに戻ってきたことを喜んでいるようだ。こうして退職したミンジョーと次の日に、モーラミャインで再会できた。

 2日目はジャウタロンジー(ミャンマー語の意味は大きな岩1個)に、世界1の寝釈迦を見に行った。噂には聞いていたがこれはまるで軍事基地要塞のようだ。建築を始めて6年まだまだ未完成で、長さが200メーター近く有りそうだ。とにかく世界1を目指しているのだろう。中はもう完全に仏教テーマパーク。その後洞窟にあるパゴダなどを見学して、バーアンに泊まり翌朝3時出発!!出発時間の事でかなりもめたのだけど、僧正に100%会えるとは誰も信じてなくて、確率が高い方を選びましょうとこの時間になった。

 午前4時半くらいに到着して、係りのお坊さん達に「日本からはるばるきました」と強調させて、なんと200,300人入っている講堂からほかの人たちを別の大きな講堂に移しそこで我々だけで謁見できるように計らってくれた。カメラ撮影の時間も与えますと言う。私は撮影はできないとほかの多くの人の話を信じてバスの中にカメラを置いてきたので撮影できず。その後、後から来たパオー人が我々が僧正がお座りになると思われる黄金の台座の前すわっていく、わずか2メートルしかない隙間に、ドンドン座ってゆく。我々もそうはさせじと、もっと前に詰めるけれども、パオー人のグループはそんな事お構いなくでドンドン座ってゆく。それも後から来て後ろで無く人の前に座ってゆくので、何事だろうと思っていると、体格のいいお坊さんが僧正の台座に片手をついて、そのドンドン這い座ってくるタオルのような物を頭に巻いたパオー人2,300人に向かって、大声で、とてもお坊さんとは思えないドスの利いた大声で「そんな大勢前のほうに座れると思っているのか!!前には外国から来たお客さんが居るんだぞー!!」「皆となりの大広間に行きなさーい!」この坊さんの一喝で、パオ人はまたぞろぞろと隣り奥にある大広間の方に流れていった。その時に初めて知ったのだが、僧正自身もパオー人なのだそうだ。それでパオー人は、おらが僧正を1番前で見て何が悪いと言う気が有ったのかもしれない。しかし、この一喝した結構若いお坊さん、日本的に結うと態度、声等はもうまるでヤクザ、ちょっと誰も逆らえない迫力でしたね。その後、いよいよターマニャー僧正が2人のお坊さんに支えられるようにしてお出ましになった。我々は、もっと前によって来なさいと言われ、僧正の台座の直ぐ下まで擦り寄って行った。僧正が1人1人頭をさすってくれる。その他自分の手を見せて、「この手の中に、世界がある。この線を見ろ! 我は104歳まで生きる。」とおっしゃっていたのだが、、、。それからこれは後で聞いた話だが、かのネウィン氏よりは早く死ねないと日ごろから言ってあって、その年の暮れにネウィン氏が亡くなったので、僧正も一安心されたのかもしれない。

 さてそれから係りの人たちに事前にお布施はドルでしてくださいと言われたのには少々しらけたけど。その他結構がっかりしたのも事実で、、92歳で写真よりかわいらしいのだけど、誰かが言っていたが笠知衆(字がわからない りゅう ちしゅう)にそっくりな気のいいご隠居さんのような僧正で、どんな超能力があるか良く知らないので、ビルマ人に聞いてにわかに勉強したけど、結局良く解らなくて。

 60過ぎて人気が出だして、今やI君いわくビルマ最大のアイドル。我々のバスのほかにも10数台のバスが来ていた。来た人が何千人でも食事を振舞う。それは肉料理は含まれていない。また肉を食べてきてはいけない。僧正が手や顔を洗った水は決して汚れない。時々2箇所に同時に現れる。以前、この国No.1の将軍がピストルを携帯したまま僧正に謁見したら、帰りに係りの人に、携帯していたはずのピストルを返されたなど、、、エピソードはたくさんあるようだ。

 と言うわけでターマニャ大僧正に、無事に謁見できてまたもや10数時間かけてヤンゴンにくたくたになって帰ってきた。

by 木村健一
2003年11月29日記
旅行:2002年10月19日

 
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